説法

 「法華経の源流を訪ねて」

 鳩摩羅什三蔵(350-413・異説409年説では本年が滅後1600遠忌)の霊跡 草堂寺
 長安は現在の中華人民共和国の陜西省(せんせいしょう)西安市で、洛陽と並んで中国史上最も著名な古都である。漢代から唐代にかけて最も繁栄した。漢の高祖(劉邦)によって都がおかれた。長安は「長(とわ)に安かれ」との願いをこめて名付けられた。以後、前趙・前秦・後秦・西魏・北周・隋・唐の都となった。
 長安はシルクロードの東端に位置し、西方から伝えられる仏教の一大中心地であった。この西安南の郊外にある草堂寺というお寺で鳩摩羅什三蔵が西暦406年に『法華経』を翻訳され、また滅後にはお墓の建立された霊跡である。鳩摩羅什は超宗派で有名な仏教経典翻訳家である。『妙法蓮華経』(=法華経)だけではなく『阿弥陀経』『大品般若経』『維摩経』『大智度論』『中論』など多数の経典をインドの原典から漢訳(中国の言語に翻訳)し、その中でも『法華経』の訳は特に名訳と賞されている。
   この『妙法蓮華経』は中国の隋の時代の高僧である天台大師智ギ(538-597)の法華経中心とした仏教へと、つながり、日本の伝経大師最澄(天台宗)や鎌倉新仏教(浄土宗・浄土真宗・時宗・曹洞宗・臨済宗)等の各宗祖や日蓮聖人(1222-82)の法華一乗仏教へと、つながる。また、天台大師智ギとほぼ同時代、日本の聖徳太子(574-622)も羅什訳の『妙法蓮華経』を読んで有名な『法華義疏』を著作した。
 この羅什三蔵訳の『法華経』は中国・韓国・日本など東アジアに多大な影響を与えるに至った。
 平成18年6月26日に鳩摩羅什三蔵法華経漢訳1600年記念の慶讃大法要厳修の為、日蓮宗総長小松淨慎上人以下40名の僧俗の皆さん等と共に同行念願の初参詣。本家本元で全員共に法華経の読諳を期待したが、残念ながら中国では文化大革命後に呉音の読み方が全く廃れて同唱は叶わなかった。
 そこで再び法善寺檀信徒を連れて9月に団参、2回目に草堂寺へお参りして初めて羅什三蔵さんからこの法華経をサンスクリットから漢訳されたご真意を改めて感じ、強く教示された。
  天竺から伝えられたその文字や読み方だけに拘るのではなく、つまり『妙法蓮華経』の経題タイトルの如く、この法華経が全世界に通ずるグローバルな【太陽と蓮】の素晴らしい教えである事を後生の私達に伝える為に敢えて「妙法蓮華経」と漢翻訳をされ、天台・伝教大師へ、日蓮聖人が一切経中から法華経を、更に法華経の約7万文字中から『日・蓮』の2文字を、面授口決されて自らの御名とされたのであった。

 「太陽と蓮華の教え」

 題目とは?南無妙法蓮華経の意味
(なむみょうほうれんげきょう)

南無(なむ)
 「南無」とは、帰依とか帰命という意味の梵語(サンスクリット語)の「ナマス」を、似た音の漢語で表現したものです。
  「南無妙法蓮華経」で、身命をささげて妙法蓮華経の教えに従います、という意味になります。それでは、経題でもある「妙法蓮華経」とはどういう意味なのでしょう。 経題『妙法蓮華経』
 一般的には「法華経」と略して呼ばれますが、正式名は「妙法蓮華経」です。梵語の原典名は「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」といい、それを翻訳家の鳩摩羅什(くまらじゅう)三蔵法師が漢語に訳するに際して、
  サッダルマ・・・妙法
  プンダリーカ・・・蓮華
  スートラ・・・経
と、訳したので「妙法蓮華経」となったわけです。
 それでは、それぞれの訳語を見て参りましょう。

妙法(みょうほう)
  サッダルマという梵語も、サットとダルマの合成語です。サットは、正しい、真実の、勝れた、というような意味であり、ダルマは、法、教え、という意味です。つまり、サッダルマという梵語を素直に訳せば「正法」とか「正しい教え」とでもなるのでしょうが、鳩摩羅什の「妙法」というのは大変に深い名訳だと思います。「妙」という字は不可思議という意味ですが、法華経で説かれている法は、単純に頭で思案して分かるような世界を越えた奥深い仏の世界の法ですから、「妙法」という訳語が選ばれたのでしょう。

蓮華(れんげ)
 蓮華(蓮の花)は、梵語では色によって名前が違い、例えば紅蓮華ならばパドマといいますが、経題のプンダリーカというのは、白蓮華をさす言葉です。
  蓮華は、泥土の中から咲き出していながら、泥に染まらず清らかな美しい花を咲かせます。その姿が、法華経の菩薩行の根本精神である、俗世の中で生活しながらも、その汚濁に染まることなく生きて衆生を救うという理想を象徴していると考えられたのです。『従地涌出品第十五』に、「善く菩薩の道を学して世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し」とある通りです。中でも特に白い蓮華の持つ、けがれのない爽やかな清潔感のイメージは、その象徴として相応しいと言えます。経題では「白」という言葉は略されていますが、「妙法蓮華経」の言葉の背後に、けがれのない純白のイメージが存在しているのを知っておく事は、どういう心で題目を唱えるべきかを理解するのに有意義なのではないでしょうか。

経(きょう)
  スートラというのは仏の教えをまとめたお経という意味です。そして<経・ケイ>という字を辞書で引くと、ちょっと違った意味に出会います。それは<タテ糸>という意味、布教という言葉の元になる縦糸の事です。横糸は<緯・イ>と言います。現在でも地球上の位置を示すのに経度・緯度という用語にもこの漢字が使われていますね。さて機を織るには先ずこの縦糸を張り次ぎに横糸を織り込んでいきます。この事から縦糸は常に真っ直ぐに通った道・即ち不変の道理という意味に転じバラバラな人の心を纏め教えを表す書物を経と呼ぶようになったのです。そうと気付けば仏様の教えは宇宙に張り巡らされた真理の縦糸。横糸を織り込むのは、今生かされている私達、境地冥合・どんな真理でもそれを活用する者がいなければ、この世には実現しません。
 仏様は私達一人々に立正安世界・人生の機織りの役目を託されているのですね。

 「蓮華と光明の如く」

 この世の中で、私達人間以外の生き物で一番身近なものといえば、それは花であろう。喜こびにつけ、悲しみにつけついてまわる。ある時は、私達の心の代弁者となり、またある時はどんな親しい人よりも心の安らぎを与えてくれる。そんな花の中、真夏の早朝、池の面に清浄な花の姿を浮かばせるハスの華は、仏教の発生したインドではもっとも愛される花だといわれる。
 この花の愛された一つの原因は汚れた泥の中からあの大きな清らかな花を咲かせることであった。ハスがさらに目出度い花だとして重んじられたのは花が咲けば必ず実を結ぶためでもあります。それも一つではなく数が多い。子孫繁栄・長寿・不死などの象徴とされる由縁でもある。
 仏典の中に出てくる花の名のうち最も多く「蓮の花にもたとうべき美しさ」と表現されている。また私達がよく知っている「法華経」も、すなわちハスの華のように妙なる教えという意味で最高の形容詞となっている。
  元来、正しい宗教・真実の教えはただ一つしかありません。それが「妙法蓮華経」というお釈迦様が説かれた教えなのです。お釈迦様はそのご生涯の中で八万法蔵の教えを説かれました。それでは、他の教えは間違った教えなのでしょうか。それは違います。それはたとえば法華経の教えというものは「光」にたとえられるのではないでしょうか。天からふりそそぐ太陽の光は、それ自体の「色」を見ることはできません。物に光があたってこそ初めてその色を発するのです。光は赤い物を赤く輝かせ、青い物を青く輝かせます。光があたることによって、その物がその物であるという存在を証明することができるのです。光がなければこの世の中の物はすべて色が失われ、その存在を確認することができなくなるでしょう。法華経の教えはまさにこの「光」と同じものなのです。光に照らされたとき、私たちの中に元々ある「色」という本当の輝きが姿を現すのです。

 「光明への祈り」

 愛媛県在住・求道の詩人故坂村真民さん(平成18年12月11日・97歳亡)と言えば「念ずれば花ひらく」といわれる程にこの言葉は有名になりました。
 しかしこの方が日蓮聖人のご信者で有ることはあまり知られていませんでした。同書(初光吸飲)の文をご紹介します。
 「わたしは今、四国の小さい家をタンポポ堂と名付け、天露をしのんでいるが、ここにきてから初光吸飲というのを始めた。近くの川原に立ち、東方の石鎚山系から射し出る初光を、呼吸を合わせて吸引する。つまりパッと出る光を、大きく口をあけてグッと吸い込むのである。実に何とも言えない歓喜である。腹からの大きな声で、日蓮聖人の言葉を高唱する。これはわたしが日蓮聖人大全集を拝読して掴み得た最も好きな語句だからである。わたしはこれをわが詩の心ともしている。
 「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計り也。これ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲也。只不軽のごとく大難に値ふとも流布せん事疑ひなかるべし。」
   と、高らかにとなえ、初光を満身に浴びて、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と祈願する。今のわたしにはこの光が何よりの救いであり、励ましであり、詩源の活力素でもある。
 『初光への祈り』
   という詩をあげておこう。
 ウォーン ウォーンというような
太陽の息吹がみなぎり湧いて
山の端から初光が ウォーッと出る
それはまさに宇宙の出産だ
すがすがしい光の矢が一直線に
わたしに射してくる
それを母の乳のように吸い飲み
わたしは祈る
ああすべてが光に向う
このひとときよ 大いなるいのちの泉よ
わたしの願いを遂げさせたまえ・・・」

 「別当大師光定和尚」

 平成18年同年4月比叡山横川の定光院に団参、前年10月に落慶した真新しい本堂にて法味言上、その年に開宗1200年を迎えた延暦寺へ、日蓮聖人始め各宗の宗祖が祀られている大講堂に昨年愛媛から奉納された別当大師光定師の木像を訪れました。
 この別当大師光定和尚(本年1150遠忌・明年は生誕1230年祭)は、奈良時代の終わりの頃、伊予国風早郡(現愛媛県松山市)に誕生されました。平安時代の初期伝教大師最澄の弟子となり「大乗戒壇」の公認と建立に努力され活躍された方です。最澄入滅の後36年間にわたり、天台座主不在の18年間を含め、慈覚大師円仁の中国修学を助け、日本天台宗の経営と維持に生涯を尽くされた高僧で、比叡山延暦寺の総別当に任命されたので別当大師という(おくりな)や大黒さんと呼ばれ信仰され、もしこの方がおられなかったら天台宗はなく、まして鎌倉新仏教も存在しません。『伝述一心戒文』の書も残されましたが、日蓮大聖人は比叡山12年にもわたる籠山(ろうざん)行成満の最後に、
 「我が為に仏を作るなかれ。我が為に経を写すことなかれ。我が志を述よ。」
と、の戒文に出会われ、
 立教開宗への契機とされたのでした。
 檀信徒の皆さん方も立正安国・お題目結縁運動の先兵として、釈尊・羅什三蔵・伝教大師・宗祖日蓮大聖人のお志しをお題目の輪・ご縁で結び伝えて参りましょう。