当山縁起

(総本山・身延山久遠寺)


天文20(1551)年山口の領主第31代大内義隆公は家臣陶隆房(後に晴賢)の謀反により9月1日長門湯本の大寧寺にて45歳の若さにて自刃しました。次男の幾代丸君は御歳7歳にして伊予国風早の地に落ち延びて、北条にて酒造を営むに至り、屋号を布屋と称し、姓を豊田・幾之進本義と改めました。 大内義隆公(常信院殿法壽日剱大居士)の菩提と布屋豊田家の繁栄を祈り、開山本妙院日法上人を招いて元亀元年(1570)2月15日上難波の寺之谷の地に当法善寺を創立しました。しかし、隣寺の火災を契機に、これより前、貞応2(1223)年3月28日北条の地、埋め立ての際、人柱となった貞松姫多喜姫二人の女性を弔う為、埋葬の地である現在の中心街へ移転して、北条風早の地の安泰を祈る本化の法華経道場として今日に至っております。